その日は1985年の12月の寒い日であった。当時は営業職に携わっていたが、某資産家宅に年末のご挨拶にお邪魔した「その日」、以下のように言われた事をいまだに鮮明に記憶している。何かを思い出すように遠くを見る視線で、淡々とした口調の名古屋弁であった。「えりゃ〜よ、えりゃ〜よ、最近の土地は本当にえりゃ〜よ。土地というものは必ず暴落するよ。こんなことはにゃ〜よ。昔は、土地みてぁ〜なもんは全く上がったりしないもんだった。それが一坪、千円になって、売ろうと思ったけどまぁ〜ちょっと、まぁ〜ちょっとと思っとるうちに夢のまた夢の一万円になってまって、農家の仕事はつらゃ〜けど土地を売らんで良かったと皆で喜びあったもんだ。それが今では百万円を大きく超えとる。こんなことは長く続くもんじゃにゃ〜よ」、ほぼこのような内容であったと思う。
真実は常に現場にこそ存在するのであろう。現場を歩く努力をしなくなった経済の専門家が視野の狭い経済論、金融論で現状を解説する事は可能だが、本質からはかけ離れたものというのが自身の経験則だ。一般的な金融論ではバブルの発生を予知する事は不可能とされているが、本当にそう思っているのだろうか。実は矛盾などは正確に把握しているが、それで経済・社会が回っており、お互いに相応の恩恵を受けているから、聞き心地の良い理屈を並べて、現状を放置しているというのが真相であろう。
ただ、前述の「その日」から、土地バブルの崩壊まで5年以上もかかっている。株式が大天井をつけるのはその一年前になり、事前のシグナルはいくつも点灯していたが、下落波動に入るまで、非常に長い時間を要している。これが、生きものである経済、市場の難しさであろう。多くの人が疑問、矛盾に思っている事が予想以上に長く続くため、異常を正常と思い込んでしまうのであろう。特に1990年までの日本の土地バブルやリーマンショック発生前の米国の住宅バブルのようにそれで経済、社会が円滑に回っている場合は、異常を正常とみるための奇妙な論理が登場するのも世の常だと思われる。
今年2月号の当コーナーのタイトルは「相場と柿は落ちる前が一番美味しい」であった。暴落を事前に察知する事ができず忸怩(じくじ)たる思いだが、株式は1989年末、土地はそのほぼ一年後にピークを打っている。その時の状況は同号で記述した通りだが、バブルの発生からその崩壊まで、相場が絶頂を迎えた後、全てがまぼろしであったかのように相場がとけていく様を体現している。なぜ、このような事を思い出すのかと言えば、当時のバブルが進行していく状況と『現在の国債の相場』が重なって見えるからだ。土地と株式が暴落したのは、国境の垣根が低くなるグローバル化を市場が感知し、日本式の経済構造を維持する事が適わなくなった事が主因であろう。土地と株式の高価格には以前から疑問がだされていたが、それを封じ込めるような強烈な投資論が出現し、大多数の人が現状を正常と思い込むようになってしまったというのが、実態だと推察したい。
国債といえども債券であり、現物、先物、デリバティブの巨大な市場が存在している。既に国内金融機関の保有する日本国債の残高は全体の約66%、600兆円超になるとされている。足元で厳しい経済・社会混乱が続くギリシャや南欧諸国の状況を考えれば、それ以上の巨額債務を抱える日本経済がどのような方向に向かっているのかは明白であろう。国債の市場価格だけは、決して土地や株式のように暴落させてはいけないのである。それで解決するような簡単な問題ではないが、だからこそ2015年までにせめて消費税を10%まで引き上げて、現状の異常な財政、経済の歪みを多少でも緩和しておく必要があるのであろう。何度も同じ間違いを繰り返すのではなく、少しは進歩したいものである。
北川 彰男
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